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野々下一幸追悼展

野々下一幸追悼展

58歳で急逝された師・野々下一幸氏を悼んで、追悼展が催された

野々下一幸追悼展

期間・2004年10月1日〜4日

場所・福岡市中央区天神エルガーラホール・ギャラリー

追悼展の様子を掲載したフォトギャラリーはこちらです

以下、追悼文掲載

やすひろより、のんちゃんへ。

高見八州洋

        

「やすひろ君、今日はいい天気やね」             

こうきり出してきたときは

「釣り日和ですね」

そう答えると話はすぐに纏まって、急ぎの仕事も放り出して山女魚釣りに行った事をよく思い出します。そうして時間が足りなくなると周りの人には、

「俺たちは忙しいんじゃ」

そう言いながら二人して徹夜して籠仕上げたこと、ありましたね。

のんちゃん三十二歳、僕二十一歳。最初の言葉は

「俺を先生と呼ぶな」

でしたね。僕はなんて呼んでいいか分からず、おいさんとかのんちゃんとかいろいろ呼んだけど今日はのんちゃんと呼ばせてもらいます。

あの頃は元気一杯で自転車や車椅子で二人乗りをしてよく遊びました。でもある日突然

「竹細工は体が基本だ車椅子は体が弱る」

そういってやめましたね。

先日階段から落ちて肩を痛めたから杖もつけなくなったと電話があった時、杖がつけんなら車椅子じゃあないですかと喉まで出かかったけど言えませんでした。何日かして一杯やろうと誘われて飲んだ時、

「俺は今鋸の本を読んでいる」

と熱く語ったけど、僕はその時酔っていて内容は覚えていません。でも道具のことにかけてはのんちゃんが一番やね、と僕たち二人の師、宮崎さんと飲むとき何時も話していました。

切り出し小刀、竹切鋸、銅つき鋸、竹の皮を削る時の銑、台を漆で固めた砥石、でも僕は使い古しの切り出し小刀が、油をひかれた紙に巻いて保存しているのを見たとき、流石だな、そう思いました。

いつか作った墨壷。あの器用さは羨ましかったです。だから少し前、墨壷の本を手に要れたときこれを見せなきゃ。そう思っていたのに・・・・・・。

今は、賭けと人生という本を読んでいてその中に芸術の夢と賭博の幻にとり憑かれた男の話が出てきて面白かったのでこの話しをしようと思っていたのですけれど。                                   

最後に会ったとき、初めての山女魚釣りで大漁だった九重町の鳴子川に、久しぶりに出掛けませんかと誘ったけれど

「海に行きてえなあ」 

との返事で、話は纏まりませんでしたね。

もう、一緒に釣りは出来なくなりました。のんちゃんは彼岸で釣ってください。僕は此岸で釣ります。  

旅立つ前に釣り道具は渡したけれど、また何処かで飲みすぎて失くさないでください。もう、渡すことは出来ないのだから。

ああそれから、僕への最後のメッセージが、「俺の灰、さじ一パイを川に」ということだからそれはやっぱり鳴子川にします。 

二十六年間有り難うございました。口に出しては言えなかったけれど今の僕が有るのはのんちゃんのお陰だと思っています。

それにしても、近頃いい天気なんだけどな。

受け継いだ道具